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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)198号 判決

原告 メージャー・リーグ・ベースボール・プロパティーズ・インコーポレイテッド

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和58年審判第844号事件について平成3年4月11日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決。

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

本願商標の構成 別紙のとおり

登録出願人 原告

登録出願日 昭和53年9月27日(昭和53年商標登録願71256号)

指定商品 第30類「菓子・パン」

拒絶査定 昭和57年9月17日

審判請求 昭和58年1月12日(昭和58年審判第844号事件)

審判請求不成立審決 平成3年4月11日

2  審決の理由の要点

(1)  本願商標の構成、指定商品、登録出願日は前項記載のとおりである。

(2)  これに対し、登録第1534725号商標(以下、「引用商標」という。)は、「ロヂャース」の文字よりなり、第30類「菓子・パン」を指定商品として、昭和53年8月30日登録出願、同57年8月27日に登録されたものである。

(3)  本願商標中の「Dodgers」の文字は、他の図形と文字と分離して看取される方法で大きく書かれているから、本願商標は、該文字部分からその文字に相応して「ドジャース」の称呼を生ずるものと認める。

他方、引用商標は、「ロジャース」の文字よりなるところ、該商標中の「ヂャ」は、「ジャ」と同じくローマ字で「zya」と表記され(「広辞苑」岩波書店発行「ローマ字のつづり方」の項参照)、標準音においては「ジャ」と区別されることなく発音並びに聴取されるものであるから、該文字から「ロジャース」の称呼を生ずるとみるのが相当である。

(4)  そこで、本願商標から生ずる「ドジャース」と引用商標から生ずる「ロジャース」の称呼を比較すると、両者は共に同数音よりなり語頭音以外の各音を同じくするものである。

そして、両称呼において異なる音の「ド」と「ロ」も母音を共通にし、かつ、その子音も共に歯茎音の調音個所も近接する比較的近似音であり、この両者に続いて発せられる音が長音を伴う強音であることも相俟って、両者をそれぞれ一連に称呼するときは、全体の語調語感が近似するものとなり、聴感において互いに相紛れるおそれがあるものといわざるを得ない。

(5)  したがって、本願商標は、引用商標と称呼上類似の商標であってその指定商品も同一であるから商標法4条1項11号に該当し、登録することができない。

3  審決の取消事由

(1)  本願商標と引用商標との称呼上の非類似

本願商標から生ずる「ドジャース」と引用商標から生ずる「ロジャース」の称呼の比較において、その異なる音の「ド」と「ロ」の音より「d」と「l」の子音が生じ(なお、被告は、後述のとおり、「ロ」の音が子音「r」をもって発せられると主張するが、「ロジャース」の「ロ」の音が子音「r」を用いて発音されることはあってもごくまれであり、むしろ子音「l」を用いると解するのが一般的である。)、この両子音は共に歯茎音であり、調音個所も比較的近いものではあるが、このことが「近似音」であることにつながるとは認められない。調音個所が比較的近いといえども、その調音の方法次第では全く異なる聴感を生じさせる。「n」、「l」、「t」、「d」、「s」、「z」、「r」は、いずれも調音個所が歯茎音を含んでいるが、必ずしも聴感において近似するとはいえない。聴感上の類否は、調音個所と共に調音方法を考慮した上で判断するのがより適切であると考える。

この見地に立てば、「ドジャース」の「ド」の音に用いられる子音「d」は摩擦音に属し、「ロジャース」の「ロ」の音に一般的に用いられる子音「l」は側面音に属する。摩擦音とは、二つの音声器官(「d」の場合、硬口蓋から歯茎にかけての部分と前舌)が完全に閉じる一歩手前で止め狭い透き間を形づくり、そこに空気を送り込むことによって得られるところの透き間風の音と同じような空気の渦流によって生じる音である。一方、側面音とは、舌の周りを奥歯のあたりに透き間を作りつつ歯と歯茎に接触させ、その透き間から空気を流すことによって得られる音であり、典型的な例では「あっら、まあ」と言う時の「ッラ」の子音である。両音の聴感を比較すると、摩擦音「d」は空気の流れる透き間が比較的狭く、調音の直前で一度空気をせき止められるため、発せられた時には透き間風に似た比較的強く耳障りな聴感を与えるのに対し、側面音「l」は空気の流れる透き間が比較的広く、調音時には「d」に比べそれ程の抵抗がなく発せられるため、比較的弱く滑らかな聴感を与える。したがって、両音は、調音個所が比較的近いといえども、近似音とは判断できない。

このような第一音における聴感上の差異を考えれば、両商標は全体において互いに相紛れるおそれはないものであり、本願商標は引用商標と称呼において類似するとする審決の認定判断は失当である。

(2)  本願商標と引用商標の外観、観念における非類似

審決は、本願商標と引用商標から生じる称呼上の類否のみを問題としているが、世人がある商標を認知する際には、まず視覚で全体をとらえ、文字が含まれていればそれを読み、最終的には一定の観念として認識されるものである。

商標法4条1項11号の類似商標に関する規定は、商標の混同誤認を防ぐことを目的とするものであり、商標の類否の判断を商標の外観、称呼、観念のいずれか一つが紛らわしいか否かにより行うということは、それ自体が自己目的ではなく、それを基に、出所混同が生じるか否かという実際的な判断によって定められるべきであるから、その判断の一要素たる称呼が仮に類似していたとしても、それらの外観、観念等が極めて異なっている場合には、全体として類似とされるべきではないと考える。

以下、本願商標と引用商標が外観上及び観念上が極めて異なることについて論じる。

(ア) 外観上の相違

本願商標は「Dodgers」の文字の他に、飛翔する野球ボールの図形並びに米国大リーグに属する野球チームDodgersの正式名称とその発足年を表す「Los Angeles Dodgers」及び「ロスアンジェルス ドジャース・1890年」なる文字が付加されてなっている。

一方、引用商標「ロヂャース」は、単に片仮名を横書きにした文字商標である。

両者を見比べた際、外観上極めて異なることは明らかである。

(イ) 観念上の差異

本願商標は、原告の機構の一部をなし、その本国たるアメリカ合衆国のみならず、最近ではNHK衛星第一放送で試合放送もされ、日本国内においても馴染みとなっている米国大リーグの一チームたるロスアンジェルス ドジャースのチーム・マークである。このように、本願商標と称呼を同じくする「ドジャース」又は「ロスアンジェルス ドジャース」なる名称はわが国においても米国大リーグの野球チームの名称として周知著名であるから、野球ファンはもとより、例えスポーツ・ファンでない者が本願商標を見た場合にも、これが野球のボールの飛翔する図形を構成の一部とし、地名「Los Angeles」または「ロスアンジェルス」を冠した「Los Angeles Dodgers」及び「ロスアンジェルス ドジャース」の文字を付加しているところから判断し、少なくとも本願商標が「ロスアンジェルスを本拠地とする野球チームのマークである」との観念を生じるものと思料する。

一方、引用商標は、片仮名の「ロヂャース」を横書きにしたもので、引用商標の所有者が展開するディスカウント・ストア・チェーンの名称「ロヂャース」を想起させるか、或いは単に人名を想起させるかのいずれかであり、これから生じる観念は、本願商標から生じるものと極めて異なっているといえる。

以上のとおり、両商標は外観及び観念において極めて異なるから、たとえ称呼上類似であるとしても、全体として類似とされるべきではなく、審決の認定判断は失当である。

(3)  商標法の適用上の不公正の違法

審決の論法によれば、原告が昭和47年9月1日に商標出願したドジャース・マーク(本願商標中の下段二列の文字がないマーク)(商標登録願昭和47年第121584号)は、先登録のアルファベットのみからなる商標「ROGERS」(商標登録第733714号)に称呼上類似するとして同様に拒絶査定を受けるはずであるが、実際は拒絶査定を受けることなく登録された。

また、語頭に「ロ」と「ド」を持ち、他の部分が称呼上まったく同一の登録商標、例えば「ドナルド」(商標登録第1074222号)と「ロナルド」(商標登録第1114966号)、「ドレーヌ」(商標登録第909452号)と「ロレーヌ」(商標登録第697058号)等は、上記審決の論法によれば当然拒絶されてしかるべきであるにもかかわらず、登録商標の共存が確認される。

以上に鑑み、本願商標は拒絶されるべきとした審決は、商標法の適用上の不公正の違法があるといわざるを得ない。

第3請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1及び2は認める。同3は、(2) (イ)中の、本願商標と称呼を同じくする「ドジャース」又は「ロスアンジェルス ドジャース」なる名称はわが国においても米国大リーグの野球チームの名称として周知著名であるとの点は認め、その余は争う。

審決の認定判断は相当であって、審決を取り消すべき違法は存在しない。

2(1)  本願商標から生ずる「ドジャース」と引用商標から生ずる「ロジャース」の称呼の比較において、その差異音である「ド」の音と「ロ」の音は、母音(o)を共通にするとともに、その子音の「d」と「r」も共に歯茎音であって、調音個所も比較的近い近似音であり、かつ、この両音に続いて発せられる第二音が共に長音を伴うため強音として発音されることと相俟って、本願商標と引用商標をそれぞれ一連に称呼するときは、全体の語調語感が近似し、聴感において互いに相紛れるおそれがあるものといわざるを得ないから、本願商標と引用商標は称呼において類似する商標である。

なお、原告は、「ダ」行音の子音と「ラ」行音の子音の差異について種々述べ、「ドジャース」の称呼と「ロジャース」の称呼は相紛れないと主張するが、音声学上においてはともかく、人それぞれに発音の癖があり、また、迅速を旨とする商取引場裡においては(称呼全体が近似する場合においては)、その称呼を聴き間違えることも少なくないものと認め得るところ、「ダ」行音と「ラ」行音が、その子音についても舌先の位置と調音方法がやや異なるだけの(たとえ、この音が語頭にあっても)相紛らわしい音であることは明らかであるから、両商標は称呼上類似の商標たるを免れない。

(2)  原告は、審決の判断は称呼上の類似性のみを判断し、外観及び観念上の際立った相違を考慮しなかった点で失当である旨主張するが、商標の類否判断においては、称呼において相紛らわしく類似するものである場合には両商標は類似する商標たるを免れないことは経験則の教えるところである。

よって、この点についての原告の主張は、上記の経験則に反するものであって、失当である。

(3)  原告主張の商標登録願昭和47年第121584号の事例は、その後同様の事例について別異の審決がされているところであり、本件審決の判断に影響を及ぼすものではない。そして、原告主張の他の事例は本件と事案を異にするものである。

第4証拠関係〈省略〉

理由

1  請求の原因1及び2の事実(特許庁における手続の経緯及び審決の理由の要点)は当事者間に争いがない。

2  審決の取消事由に対する判断

(1)  引用商標の指定商品は本願商標同様第30類「菓子、パン」であること、引用商標は昭和53年8月30日登録出願、同57年8月27日に登録されたものであること、及び、別紙のとおりの構成からなる本願商標はその文字部分の文字に相応して「ドジャース」の称呼を生じ、一方、引用商標は、「ロヂャース」の片仮名文字を横書きにしてなり、該文字から「ロジャース」の称呼を生ずるものであることは原告において明らかに争わないところである。

(2)  両商標の指定商品の取引者・需要者は、一般消費者と業者(製菓、製パン業者、問屋、販売店等)に大別され、数においては専ら店頭で同商品を購入する一般消費者がはるかに多数を占めていると推認されるところ、上記(1) の事実によれば、両商標は明らかに外観において相違すると認められるから、一般消費者が、口頭又は電話により商品を注文するという特殊な場合を除いては、両商標を混同することがあり得ないことは明らかである。しかして、業者間においては、口頭又は電話による取引が中心となると推認されるから、上記の一般消費者における特殊な形態の取引の場合を含め、両商標において称呼上誤認混同を生ずるおそれがあるか否かについて検討する。

(3)  本願商標から生ずる「ドジャース」の称呼と引用商標から生ずる「ロジャース」の称呼とを比較すると、両者は語頭音以外の各音を同じくするものであり、両称呼において異なる音の「ド」と「ロ」は、その子音が共に歯茎音であり、調音個所も近接することは審決が認定するとおりであって(この点も原告において明らかに争わないところである。)、両者をそれぞれ一連に称呼するときは、全体の発音が比較的近似するものであることは事実である。しかしながら、本件においては、そのこと故に両商標の称呼が類似し、誤認混同を生ぜしめるものと即断することはできない。まず、両商標の称呼は長音部を含め五文字の構成にすぎず、その差異音は、それぞれの称呼の語頭音であるため、類似音であるにもかかわらずこれを聴者がこれを区別して聴き分けることができないものではないと認めるのが相当である。

次に、観念との関係を検討すると、一定の観念を想起させる外観を備えた商標は、その観念に忠実に即した形で称呼されるのであり、右の観念を想起させる構成が文字よりなる場合には、その文字がそのまま正確に称呼されるものであることは日常経験されるところである。そして、外観から生ずる観念が周知著名であれば、聴者はその称呼を誤りなく聴取し、また、かように称呼として商標に接した者がこれを更に他の第三者に伝達する場合にあっても、そのまま称呼して伝達するのであり、いずれの場合にあっても、他に近似する称呼があったとしても、観念の周知著名性の故にそれと彼此混同することはないと認めて差し支えないものというべきである。

これを本件についてみるに、本願商標に接した取引者・需要者が、わが国においても周知著名なアメリカプロ野球の大リーグ所属チームである「ドジャース」を想起するものであることは別紙に示されるその構成自体から明らかである(「ドジャース」がアメリカプロ野球の大リーグ所属チームの名称としてわが国においても周知著名であることは、当事者間に争いがない。)。したがって、本願商標から生ずるものであることに争いのない「ドジャース」の称呼に接した者は、直ちにアメリカプロ野球の大リーグ所属チームである「ドジャース」を想起するのに対し、引用商標「ロジャース」が特定の観念を生じさせるものと認めるに足りる証拠はなく、かつ、前記のように両商標の称呼上の差異が聴別しやすい語頭音にあることを勘案すれば、聴者は、前記のような発音の近似性にもかかわらず、両商標の称呼を混同することなく聴別し得るものと認めるのが相当である。

かかる観点からすれば、音声楽的見地による被告の主張は、本件に関する限り採用しがたい。更に、被告は、人それぞれに発音の癖がある旨主張するが、本件において、いかなる癖が誤認混同を生ぜしめるものかについての具体的指摘がなされない以上、上記主張も採用することができない。また、被告の主張する商取引における迅速性の要請は否定し得ないとしても、他方誤認混同を避けるべき配慮、すなわち称呼の正確性も迅速性に劣らず商取引における重要な要請であり、この点を犠牲にした商取引というのものは考えられないところであるから、称呼の類否判断において迅速性を過度に重視することは相当でない。

以上によれば、本願商標と引用商標とは称呼上類似の商標と認めることはできず、この点に関する審決の認定には誤りがあるものといわざるを得ない。

3  したがって、本願商標は商標法4条1項11号に該当するとした審決の判断は違法として取消しを免れない。よって、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 田中信義 杉本正樹)

別紙 本願商標

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